■■■東方めぐり京都編■■■

2009年GW中に東京から実家に帰省することになったさき千鈴。実家は大阪の端っこ『枚方』にあるのだが
せっかく関西に実家があるんだからそれを満喫せねばと京都の東方関係めぐりをすることにしましたよー☆
誰に需要があるのかと突っ込みたくなりますがwそこはそれとしてふらり京都旅をちょっとレポってみます〜♪♪♪
(っというかただの説明だったりするかも)

時は2009年5月6日!!5日にまわろうかと思いましたが思いっきり雨だったので6日に…
5日だったらこどもの日でお寺でも各所でいろんなイベントがあったようですが6日はただの振り替え休日なので何もやってなかったw

そんなわけでまずは京都宇治に到着!!!!!

うわさの宇治橋!!!!ここは東方地霊殿に出てくる2面ボス水橋パルスィさんと関係のあるところだお!
こんだけ言っといてうちではまだ描いてないわけですが…ごめんパルスィw

パルスィさんは種族が橋姫です
ウィキペディアの力を借りて文章抜粋↓

■橋姫(はしひめ)は、橋にまつわる伝承に現れる女性・鬼女・女神である。宇治の橋姫とも。
多様な伝承と側面を持ち、主なものに源綱が一条戻り橋で遭遇し斬った「嫉妬の鬼」、
宇治橋そばの橋姫神社に祭られている「橋の守り神」、の2つがある。

■古くは、『古今和歌集』 (905年) 第14巻の詠み人知らずの歌

さむしろに衣かたしき今宵もや 我をまつらん宇治の橋姫

に現れる。
歌の世界ではしばしば、伝説と異なり、橋姫は愛らしい女性としてロマンチックな歌に現れた。

■嵯峨天皇の御世(809年-825年)、とある公卿の娘が、深い妬みにとらわれ、貴船神社に7日間籠って「貴船大明神よ、
私を生きながら鬼神に変えてください。妬ましい女を取り殺したいのです」と祈った。明神は哀れに思い「本当に鬼になりたければ、
姿を変えて宇治川に21日間ひたれ」と告げた。
女は都に帰ると、髪を5つに分け5本の角にし、顔には朱をさし体には丹を塗って全身を赤くし、鉄輪(てつわ、鉄の輪に三本脚が付いた台)
を逆さに頭に載せ、3本の脚には松明を燃やし、さらに両端を燃やした松明を口にくわえ、計5つの火を灯した。
夜が更けると大和大路を南へ走り、それを見た人はその鬼のような姿を見たショックで倒れて死んでしまった。
そのようにして宇治川に21日間ひたると、貴船大明神の言ったとおり生きながら鬼になった。これが「宇治の橋姫」である。

橋姫は、妬んでいた女、その縁者、相手の男のほうの親類、しまいには誰彼かまわず、次々と殺した。男を殺すときは女の姿、
女を殺すときは男の姿になって殺していった。京中の者が、申の時(15〜17時ごろ)を過ぎると家に人を入れることも
外出することもなくなった。

・橋姫神社↓

■そうしたころ、源頼光の四天王の1人源綱が一条大宮に遣わされた。夜は(橋姫のせいで)危険なので、名刀「鬚切(ひげきり)」
をあずかり、馬で向かった。その帰り道、一条堀川の戻橋を渡るとき、女性を見つけた。見たところ20歳余で、肌は雪のように白く、
紅梅柄の打衣を着て、お経を持って、一人で南へ向かっていた。綱は「夜は危ないので、五条まで送りましょう」と言って、
自分は馬から降りて女を乗せ、堀川東岸を南に向かった。正親町の近くで女が「実は家は都の外なのですが、送ってくださらないでしょうか」
と頼んだので、綱は「わかりました。お送りします」とこたえた。すると女は鬼の姿に変わり、「愛宕山へ行きましょう」と言って綱の髪を
つかんで北西へ飛びたった。綱はあわてず、鬚切で鬼の腕を断ち斬った。綱は北野の社に落ち、鬼は手を斬られたまま愛宕へ飛んでいった。
綱が、髪をつかんでいた鬼の腕を手に取って見ると、雪のように白かったはずが、真っ黒で、銀の針を立てたように白い毛がびっしり生えていた。

鬼の腕を頼光に見せると頼光は大いに驚き、安倍晴明を呼んでどうすればいいか問うた。晴明が「綱は7日間休暇を取って謹慎してください。
鬼の腕は私が仁王経を読んで封印します」と言ったので、そのとおりにさせた。
橋姫の腕を斬った「鬚切」は実在し現存する日本刀で、この事件により「鬼切(おにきり)」と呼ばれるようになった。
綱の羅生門の鬼退治(『酒呑童子』)や多田満仲の戸隠山の鬼退治(『太平記』)などにも使われたとされる、鬼と縁が深い名刀である。
橋姫がひたった川は宇治川で、祭られているのは宇治川の宇治橋だが、綱が橋姫と出合ったのは堀川の一条戻り橋である。
歳月の経過は特に描写されていないが、源頼光・源綱・安倍晴明の時代は「嵯峨天皇の御宇」の200年近く後である。

・↓橋姫神社です〜すっごい宇治橋の近くにあるお!平等院までの道のりにこじんまりと…

■宇治川に架かる宇治橋の近くに橋姫神社がある。正式には、上流から遷祀されたとされる瀬織津媛(せおりつひめ)を祭っているが、
『平家物語』などでの橋姫と同一視されている。源綱に討たれた後に橋の神になったという話もある。
橋を守る女神として祭られているが、縁切りの神でもあり、悪縁を切るご利益がある。逆に、恋人同士や婚礼の儀で、
神社の前を通ったり宇治橋を渡ったりするのはタブーである。

以上ウィキペディア「橋姫」から抜粋

すみませんやたら文章多かったw気になる方だけ読んでいただけると…面白い話ですしw


続いて平等院〜東方と直接関係ないのですが永夜抄の藤原妹紅さんの御家関係ということで…
もこたんは藤原不比等さんの娘といううわさです〜

『竹取物語』など以下ウィキ様から一部抜粋↓

■今は昔、竹を取り様々な用途に使い暮らしていた竹取の翁(おきな)とその妻の嫗(おうな)がいた。翁の名は讃岐造といった。
ある日、翁が竹林に出掛けていくと、光り輝いている竹があった。不思議に思って近寄ってみると、中から三寸ほどの可愛らしい
女の子が出て来たので、自分たちの子供として育てる事にした。その後、竹の中に金を見付ける日が続き、翁の夫婦は豊かになっていった。
翁が見つけた子供はどんどん大きくなり、三ヶ月ほどで年頃の娘になった。この世のものとは思えない程美しくなった娘に、
人を呼んで名前を付ける事になった。呼ばれてきた人は「なよ竹のかぐや姫」と名付けた。この時、男女を問わず人を集めて、
三日に渡り祝宴をした。

幼子を見つける竹取の翁(土佐広通、土佐広澄・画)世間の男達は、高貴な人も下層の人も皆何とかしてかぐや姫と結婚したいと思った。
その姿を覗き見ようと竹取の翁の家の周りをうろつく公達は後を絶たず、彼らは竹取の翁の家の周りで過ごしていたが、
その内に熱意の無い者は来なくなっていった。最後に残ったのは好色といわれる五人の公達で、彼らは諦めず夜昼となく通ってきた。
五人の公達は、石作皇子、車持皇子(藤原不比等であるという説がある)、右大臣阿倍御主人、大納言大伴御行、中納言石上麻呂といった。

彼らが諦めそうにないのを見て、翁がかぐや姫に「翁も七十となり今日とも明日とも知れない。この世の男女は結婚するもので、
お前も彼らの中から選ばないか」というと、かぐや姫は「なぜ結婚などしなければならないの」と嫌がるが、
「『私の言う物を持って来る事が出来た人と結婚したいと思います』と彼らに伝えてください」と言った。夜になると例の五人が集まって、
或る者は笛を吹き、或る者は和歌を詠い、或る者は唱歌し、或る者は口笛を吹き、扇を鳴らすなど行っていた。翁は公達を集めてかぐや姫
の意思を伝えた。

その意思とは石作皇子には仏の御石の鉢、車持皇子には蓬莱の玉の枝、右大臣阿倍御主人には火鼠の裘(かわごろも)、
大納言大伴御行には龍の首の珠、中納言石上麻呂には燕の子安貝を持って来させるというものだった。どれも話にしか聞かない
珍しい宝ばかりで、手に入れるのは困難だった。

石作は只の鉢を持っていってばれ、車持は偽物をわざわざ作ったが職人がやってきてばれ、阿倍はそれは燃えない物とされていたのに
燃えて別物、大伴は嵐に遭って諦め、石上は大炊寮の大八洲という名の大釜が据えてある小屋の屋根に上って取ろうとして腰を打ち、断命。
結局誰一人として成功しなかった。

そんな様が帝(みかど)に伝わり、姫に会いたがった。喜ぶ翁の取りなしにも関わらず彼女はあくまで拒否を貫くが、
不意をついて訪ねてきた帝に姿を見られてしまう。しかし、一瞬のうちに姿を消して地上の人間でない所を見せ、結局帝をも諦めさせた。
しかし、帝と和歌の交換はするようになった。

月へ帰って行くかぐや姫(同上)帝と和歌を遣り取りするようになって三年の月日が経った頃、かぐや姫は月を見て物思いに
耽るようになった。八月の満月が近付くにつれ、かぐや姫は激しく泣くようになり、翁が問うと「自分はこの国の人ではなく月の都の人であり、
十五日に帰らねばならぬ」という。それを帝が知り、翁の意を受けて、勇ましい軍勢を送る事となった。

そして当日、子の刻頃、空から天人が降りて来たが、軍勢も翁も嫗も戦意を喪失し抵抗出来ないまま、かぐや姫は月へ帰っていく。
別れの時、かぐや姫は帝に不死の薬と天の羽衣、帝を慕う心を綴った文を贈った。しかし帝は「かぐや姫の居ないこの世で
不老不死を得ても意味が無い」と、それを駿河国の日本で一番高い山で焼くように命じた。それからその山は「不死の山」(後の富士山)
と呼ばれ、また、その山からは常に煙が上がるようになった。

■藤原妹紅=不滅の人間。蓬莱の人の形。とある「貴族」の娘であり、父が輝夜に求婚した際、難題を吹っかけられ恥をかかされて以来、
輝夜を目の仇にしている。天皇の命令で輝夜が残した「とある薬」を富士山で処分しようとしていた調岩笠と兵士達を追いかけて尾行するが、
その際に登山の準備をしていなかったため行き倒れになりかけるも岩笠に救われる。
以後、岩笠と兵士らと共に富士山の山頂へ登り輝夜の遺した薬を投げ込もうとするも、そこに現れた木花咲耶姫によって輝夜の遺した薬が、
服用する事で不老不死になる『蓬莱の薬』である事を知る。その後、妹紅と岩笠が寝てる間に兵士達は全員死亡。
咲耶姫は蓬莱の薬を処分する場所として八ヶ岳(後の妖怪の山)を勧める。だが富士山の下山中に魔が差した妹紅は、
急な下り坂で岩笠の背中を蹴り飛ばして蓬莱の薬の入った壺を奪う。それを服用して以来不滅の身となる。

以上ウィキペディア様でした☆ほんと興味がある人だけ読んでくれれば良いので…ww
いやぁ架空でも何でもこんなこと思いながらまわるといいものですね〜♪

平安神宮とかはえーりんのバックで移ってたりとか関係するんだけど平安神宮はよく行くので今回は行きませんでした
『竹の径』と呼ばれる竹取物語関係のところも行ってみたかったのですが遠かったので断念したり…
平等院は十円玉で有名ですけど初めて行きましたよ〜資料館とかもあってすごい面白いところでした!!時間が無かったので
そそくさと帰りましたがほんとはもっとじっくりまわりたかった…あとデジカメの容量が尽きかけてSDカードを探して
コンビニを回りました!w



次は墨染寺(ぼくせんじ)墨染駅(すみぞめえき)にあります!なんてややこしい名前…ww
妖々夢の幽々子様の曲「幽雅に咲かせ、墨染の桜」にもあったりする桜の名所〜☆…だけど行ったのは5月で…桜なんて咲いてるわけが無いw
わかってたけど行きたかったんだー!ちいさくて地味なところだったのでほんと桜のときに行くのが良いですね〜


さらに今度は伏見稲荷大社!

ここも直接関係ないんだけど妖々夢の藍しゃまの狐つながりで行ってみる〜っていうか純粋に千本鳥居とか
一生に一度は見ておきたかったのでw

さすが観光の名所なだけあり今まで行ったところとは桁が違う賑わいに、お店の気合!
ここも時間があればもっとじっくり居たかったのですが〜w雀の丸焼きとかたくさん売ってて
名物なのかなぁwでもあんまり食べようという気にはなりませんでしたwww

入り口から少し歩いてようやく千本鳥居に!!おおぉ!!これがあの有名な!!
テンション上がりました!wwネギま!とかでもこれをモチーフにしてたのとかあったなぁ…

よくこんな鳥居をたくさん作ろうと思ったよね!wすごい発想!もういたるところに鳥居の山が!w

ちっさい鳥居とかもいっぱいあったw千本以上あるんじゃないかなww

「おもかる石」というのがあって持ち上げてそれを思いと感じれば願いはかなわず
逆に軽いと感じれば願いがかなうというのがあって特に願いも無いけどやってみたw

普通に重かった…wwwwしくしく…

さらに続くよ千本鳥居〜いちよう時間の関係上「三つ辻」というところまで行ったら
引き返そうと思っていたのですがそこにたどり着くまでが長い長い!
山道に石段を引いてるだけなので高低さもありかなり疲れましたww「三つ辻」までが限界でしたw
時間が無いので急いで下ることに…この先は何があるのか気になりましたが泣く泣く降りましたー

お昼も過ぎたので下の観光用のお店でうな丼ときつねうどんを食べましたよ〜
すごいおいしかった!値段高かったけどwこれぞ京都っていう上品な味がしましたわ☆


そして最後に六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)へ!実はいちばん期待していたところでした!

東方としては花映塚の四季映姫・ヤマザナドゥさんと小野塚小町さんのゆかりの地で
ここには冥界へ繋がるといわれる井戸があるのです!なんかそんな話面白いじゃないですか〜♪
解説はこちらの画像で↓…読めないかなw

こちらも小さくて住宅街の中にあり、あまり知名度は高くないっぽい感じ

時間も遅かったためか閉まってたのかな〜残念…
そしてこちら↓が冥界に繋がるといわれる井戸!!近くまで行けない仕様になってて
格子から覗けという指示だったのでよくわかんないかな…僕もこれがその井戸なのか自信が無いですがこれ以外見つかんないしなぁw

中央よりちょっと右のが多分井戸だと思われます…たぶんww

微妙に木がうっそうとしてよく確認できない…しくしく
直接近くに行けないのは冥界に繋がるということで井戸に入っちゃう人がいたら困るからかな??

んで閻魔様と小野篁(おののたかむら)の像があるところ

これも覗かなくてはいけなくてしかもガラスが貼ってたので写真でうまく撮れなかったorz
しかし面白い話ばかりで六道珍皇寺は行ってよかったです〜☆小野篁さんは昼は超エリートで
夜は井戸から冥界に行って閻魔様の手伝いをしてたんだって〜漫画っぽい面白いネタだw

そんな感じで京都巡りはここまでになります〜
まだ行きたいところもあったのですが時間的にも距離的にもこれが限界でした汗
日頃あんまり歩き回らないので相当疲れましたwいい運動になったけど☆
今度は大阪の弘川寺とか行きたいなぁ幽々子様関係の西行法師で…!お墓もあるとかいう話だしな〜

文章に全くサービス精神のない感じになってしまいもうしわけございません!
ちょっと長かったのでそこまで余裕が…!ww
京都付近の方など気になる人はぜひいろいろまわってみてくださいきっと楽しいですよ♪

完全に自己満足でしたがここまで読んでくださった方お付き合いありがとうございました☆☆☆


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